敏感で繊細な気質を持つHSP(HSPについての詳しい説明はこちらへ)の私ですが、このたび全般性不安障害という診断も受けました。
確かに常に不安が付きまとい、不安定なことも多い私ですが、それでもおそらく前向きな考え方をする力は培われていると思います。
もちろん時と場合にもよりますが、不安障害を抱えながらもポジティヴシンキングができるその理由は、実は子供の頃に出会った一冊の本のおかげでした。
私の人生を変えた本「少女パレアナ」
分類としては児童文学です。
アラフォー、アラフィフ世代あたりは、ハウス名作劇場で放映されていた「愛少女ポリアンナ物語」のほうが馴染みが深いかもしれませんね。
私がこの本と出会ったのは、作品の新聞広告でした。
父を失くして孤児になった幼い少女が、気難しい叔母に引き取られて、とても歓迎されているとはいえない環境の中で、持ち前の明るさと生前の父との間でやっていた「何でも喜ぶゲーム」のおかげで町中の人を笑顔にしていくという物語です。
その新聞広告に簡単なあらすじが紹介されていたのですが、そこに書いてあった内容に、幼かった私は感銘を受けました。
叔母の家に向かう際に、迎えに来ていたのはメイド。来てくれると思っていた叔母が来てくれなかったことを寂しいと思ったのも束の間。
「まず貴女に会えたのだから嬉しいわ」とメイドに会えたことを喜び、「これでこの後に叔母様に会える楽しみが出来たわ」とポジティヴに捉えます。
屋敷に着いて、パレアナの部屋として連れて行かれたのは屋根裏部屋。そこには鏡すらありません。
でもパレアナは、それを知って「鏡がなければそばかすが見えないから嬉しいわ」と捉えます。
新聞広告に載っていたのはここまで。
でも、私はそれだけで充分な衝撃を受けました。
ネガティヴな出来事を強引にでもポジティヴに捉えようとすることはできる。
それを教えてくれたのが、少女パレアナでした。
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私なりの「なんでも喜ぶゲーム」
そうはいっても、簡単にはできません。
落ち込むことは日々あります。
それでも、幼かった私は人生を積み上げていくうちに、「どうせ同じ事象なら、ポジティヴに捉えたほうが楽」ということは学んでいきました。
学校で苛められたこともあったけど、この本に出会ってからは「苛められなかったら、苛められる人の気持ちを知ることができなかったんだ」と考えられるようになりました。
友達だと思っていた人に裏切られたときは、もちろん最初は凹んだけれど、「もっと強く信頼する前に裏切ってもらえてよかった。これで、人には裏があると知ることができた」と気持ちを切り換えました。
当然、傷は今でも残っています。
それでもやっぱり「辛い過去」として受け止めるより、「いい経験になった」と受け止めたほうが、自分が楽なんです。
うつになるほど前職で追い込まれた経験も、今では「あれがあったから、今は自分の危険信号がわかるようになった」と思っています。
誰かと意見が食い違って言い合いになっても、「そのおかげで腹を割って話すきっかけができた」と後になって思えます。
もちろん、自分の身に降りかかっている時点でポジティヴに捉えるほどの力量は、私にはまだありません。
なんせ些細なことでも不安要素にしてしまうのは得意ですから、当然その時は追い詰められます。
でも私は知っているんです。
いつか必ず「あれがあったから今の私がある」と思えるようになるということを。
今は苦しいかもしれない。
でも、必ずいつかそれを糧にすることができる。
そう自分を信じてあげることが、私にとっての「なんでも喜ぶゲーム」です。
応用編「なんでもフォローするゲーム」
この応用として、いつの間にか私が身につけたもの。
嫌な気分にさせる人に出会ったときに、その人を強引にフォローするのです。
例えば車を運転しているときに、強引に割り込んできた人がいたら「きっとトイレ我慢できなくて、早く帰りたいんだよ」と思うことにしました。
それがトイレのあるはずのコンビニから出てきたのなら、「トイレに駆け込もうとしたら先客がいて入れなかったんだよ」と決め付けます。
パチンコ屋から出てきた車なら「パチンコで大負けしてイライラしてるんだよ」と。
横柄な人には「きっと家では粗大ゴミ扱いで、他に偉そうにできるところがないんだよ」と。
嫌味ばかり言う人には「可哀想に、いつも周囲から自分が言われてるんだろうね」と。
不快な気分になると、自分の精神衛生上よくないことばかり。
どうせ相手を変えることはできないんだったら、いっそ憐れんでやり過ごすほうがずっと楽なんです。
視点を変えるだけで楽になれることもある
どうせ変えることのできない現実を受け止めるなら、前向きに受け止めるほうが絶対に楽です。
ネガティヴに受け止めてしまうと、せっかくの経験を糧にすることもできません。
恋人に裏切られたなら「同じような人に引っかからないための経験」
誰かに傷つけられたら「いま傷つけられなかったらもっと先でもっと深く傷つくことになっただろう」
面接に落ちたなら「きっと自分には今この会社ではなかった」
たとえそれが「酸っぱいぶどう」だったとしても、自分が納得できればそれでいいんじゃないでしょうか。
だって、手に入れられなかったぶどうが酸っぱいかどうかなんて、誰にもわからないんだから。
でも、今いる境遇が自分にとって耐え難いものだったとしたら、無理にポジティヴに捉えようとせず、ちゃんと別の道を探すことも忘れないでくださいね。
誰よりも自分を守ることができるのは、自分自身ですから。
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